2007年10月29日
大阪”結婚披露宴”での熱海つながり
国本家、金沢家の
結婚披露宴が始まる少し前、
新郎の父である、
国本氏から紹介されたのが、
早川正文氏だった。
急に決まった、
披露宴への出席だったが、
早川氏と名刺交換の後、
「5~6年前お宮の松近くの
ホテルの解体工事の孫請けだった、
”ウチ”の関係者が、
熱海の議員さんにお世話になり、
感謝しているのだが、
名前を思い出せない」
その議員さんの紹介で、
海の見えるホテルを
花火の日に2~3度
予約等もお願いしていたようだ。と、
過去に、
熱海を訪れたエピソードを語り、
その議員さんを知っているかと尋ねられた。
はい。
もう、お分かりでしょう。
偶然か必然か、
その議員とは、
そう”小生”だっのです。
あれは確か、
5年ほど前のこと、
市内在住の
知人より紹介されたのが、
当時、
東海岸町の廃業ホテルとして、
長らく放置され、
不審火等の発生と共に、
熱海の
基幹産業の悲惨な状態が、
全国放映された、
”某元ホテル”の
解体工事に携わった、
孫請け会社の責任者だった。
限られた予算の中で、
権利の錯綜した物件の解体工事ということで、
機材やその他作業員の手配など、
現地調達が、
重要な意味を持つので、
何とか”地元の智恵”を拝借したい。
実直で、
過去の実績を並べた上で、
「支払いに迷惑をかけない、
保障として、
解体した”鉄筋”等の権利を預けたい。」
という条件を、
小生の友人を含めた、
市内の一部工事関係者が飲み、
紆余曲折あったが、
解体作業が終了したという記憶が蘇った。
そうしたエピソードを思い出しながら、
話しが進むと、
突然、
「彼、今年亡くなりました」という。
当時、
確か糖尿を気にしており、
それが引き金となったようである。
当初、
早川氏からは、
その責任者の名前は
「間」氏と聞かされたのだが、
小生が記憶にあるのは、
そういう名前ではなかった。
焦っていたのか、
どうしても思い出せず、
知人に電話したのだが、
生憎留守電だった、
顔は鮮明に覚えているというものの、
名前が浮かばず、
歯痒い思いが続いたが、
「O]氏という名前が、
突然浮かび話すと、
「そうそう茨城の養子に入った先が、
”O”という名前だった」と、
早川氏もニッコリ笑って、
膝を叩いた。
降って沸いたような、
「O]氏の訃報には
驚ろかされたものの、
松本氏が
接着剤となったのか、
国本氏の引力かは
定かではないが、
偶然の披露宴で、
必然的な出会いだったとしても、
松本氏も国本氏も、
こうした、
熱海つながりの縁が功を奏したのか、
”ホンちゃん”の披露宴は、
大盛況の内に
幕を閉じたのである。
”縁結び”の席で、
もう一つの”縁”が浮上するという、
誠にお目出度い披露宴。
分析すれば、
今回の”縁”つながり、
齢60歳の小生、
ここまで、
遊びや趣味を通して
多くの出会いがあった。
その中で生じた、
偶々の、
”熱海つながり”だったのかもしれないが、
早川氏や国本氏、
松本氏や小生にとっては、
お目出度い席での、
貴重な”縁”結びだった。
また、
この出会いを通じて、
新郎新婦のお祝いに駆けつけた、
若い多くの列席者に、
「熱海」のことを、
もっと良く知って頂こうと思っていたら、
松本氏、
小生の心を覗き見したように、
花婿花嫁の祝辞に
小生の意を汲んだ言葉を散りばめ、
そのあと歌まで披露し、
その歌も、
南京出発を控え、
新幹線自由席から
”グリーン車”へと導き、
(10月23日新幹線8号車での小林常男氏)

今回の縁の、
プロローグとなった、
小林常男氏(熱海マリーナ)の、
実兄、
小林旭さんのヒット曲、
「自動車ショー歌」を選曲、
場内から、
やんやの拍手を浴び、
アンコールの声が上がるほど
披露宴を盛り上げた。
(松本氏の母愛子さんと新婦「金沢家」のご両親)

(国本氏の奥さんと長女)

(国本氏)

早川氏と国本氏、
今年中に”熱海”を訪れ、
逝去された「O]氏の
偲び旅をして、
供養したいという言葉を受け取り、
昨日は、
午後4時19分「新大阪駅」発の、
いつもの”ひかり”で、
熱海駅に無事辿り着いた。
松本氏も小生にとっても、
高井氏からプレゼントされた、
とてもハッピーだった、
南京~大阪、
6日間の旅にピリオドが打たれたのである。
投稿者 村山 憲三 : 2007年10月29日 19:47
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みなさんの声
先生、先日は南京市からの帰りにも拘らず、急遽私のいとこのために列席して頂き、叔父の家族や松本家一同に成り代わりまして厚くお礼申し上げます。
南京市では連日ほとんど睡眠時間も無いほど、ブログのアップに苦労されましたが、お疲れのところお蔭で大変素敵な式になり、若い二人も大変喜んでいました。
私も日々忙殺され、母にも苦労をかけていますが、多少は人前でまともな挨拶ができて、これについては、母にも評価?されたかもしれません。(滝汗)
それに小林社長との偶然の出会いや、早川さんとのピンポイントの話など、最近は偶然とは思わないようにしいてる
僕ですが、それでもそれを飛び越えるような出来事が、こうも続くと、むしろ驚愕の念を禁じえません!
改めて人の縁を痛感させられます。それもいい縁を・・・
「天網恢恢 祖にして洩らさず」とはよく言ったもので、
逆に言うと悪いことは出来ませんね~
僕もそこだけは大事にしていきたいです。
まして昨今不穏なことの多い世の中ですが、若い子の屈託の無いはじける笑顔を見たときに、明るい未来や希望も感じたことは決して世の中捨てたもんじゃない!
なんて思ったと同時に自分も年を経たんだと痛感したひと時でした。
が、しかし改めて初心を忘れず先生のように、年齢ではなく精力的に人に関っていく事が、ある意味の若さを感じさせる秘訣
だと思わせてくれた、そんな式だったに違いありません。
むしろ若い二人に教わったというが、むしろ感謝でしょうか?
やはりあの日曜日は、まさに「ハレの日」でした!
先生これを期に、松本家親戚ぐるみのお付き合いになりそうな
雰囲気ですが、大丈夫ですか?
なんかあったら早めに言って下さいね。(笑) 考えます。
とまぁお世話になっておきながら、軽口もたたいてしまいましたが、今後熱海の方にも微力ながら貢献できたらと、後日改めまして、叔父と一緒にご挨拶も兼ねて伺います。
また次のいとこの結婚式が12月23日にあるものですから・・・ よろしくお願いいたします。
投稿者 松本 哲治 : 2007年10月30日 20:57
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