2007年06月18日
熱海マリーナ思いで綴り(2)
昨日今日と、
変化の少ない”日めくり”の間隙をぬい、
小林常男社長(熱海マリーナ)との、
出会いの”伏線”を発見したのは、
高校3年間に書き連ねた、
日記帳からだった。
昨日は、
昭和37年11月の一ヶ月間に、
高校一年生が、
22本もの映画を観ていたとは、
自分でも驚きだが、
半世紀近くも経過していながらも、
文やその行間から滲んでくるのは、
当時の、
鮮明な記憶である。
反面、
余りにも早い、
時間の流れに
老後の不安感もよぎる。
とはいえ、
映画で培った感の強い、
人生訓だが、
社会人となって、
どのような影響を及ぼしてきたのか。
当時から、
夢は
上京して一旗挙げることだった。
卒業後、
何とか、
釧路から脱出したいという
願望が強く、
映画を通して、
都会への憧憬を膨らませ、
東京に出さえすれば、
憧れた俳優に会えるだろうし、
或いは、
会える環境に身を置けるだろうとの、
希望的観測も、
書き込まれていた。
当時、
大いに影響を受けた俳優は、
日本一のほら吹き男、
「植木等」と、
日活のマイトガイ、
「小林旭」。
そして一番会いたいと念じ、
高校在籍中から
仲間を前に”会いに行く”と、
”大風呂敷”を広げていたのが、
日活映画、
小百合と浜田光夫主演の、
泥だらけの純情(中平康監督)で、
渋い演技を見せた、
「小池朝雄」(劇団雲・故人)だった。
その小池さんには、
上京して後、
難なくお会いをしており、
他のお二人にも、
実に不思議な
巡り会わせを経験してきた。
さて、
イントロが長すぎたが、
「小林旭」さんに初めてお会いしたのは、
20数年前、
熱海市内で開催された、
”とあるパーティ”に向かう途中の、
マイクロバスの中だった。
その時、
交換した名刺には、
”アローエンタープライズ”
(自分のプロダクション)だったと、
記憶している。
昭和37年11月5日,
小生の日記には、
こう記されている。
「小林旭」と「美空ひばり」結婚式

これが、
出会いの伏線と、
独りよがりしており、
「小林旭」さんの実弟が、
”熱海マリーナ”
小林常男社長である。
これまでも、
小林社長は、
熱海市民として、
様々な観点から、
小生の主眼である、
熱海再生運動の知恵袋となってきた。
その上に今回は、
”小林旭”特別講演の、
チケット4枚も、
確保していただいたのである。
話せば、
”長すぎる”経過を綴らせて頂いたが、

小林常男社長だが、
一昔前には、
「梅宮辰夫」、
「高橋恵子」、
「ショーケン」(萩原健一)の、
プロダクションのオーナーとして、
現在でも、
芸能界でも知られた存在であり、
マリーナを通じて、
首都圏在住の、
高額所得者の
”熱海定住化”促進に助力していただいてきた。
このことも踏まえ、
今年から、
「定率減税廃止」にともなう、
市県民税大幅増に、
市民の怒りが爆発しない内に、
熱海再生に貢献してきた、
熱海マリーナの存在を、
為政者は、
忘れてはなるまい。
投稿者 村山 憲三 : 2007年06月18日 14:31
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