2007年06月17日
熱海マリーナにて”思い出綴り”
昼過ぎからは、
曇天になったものの、
”カラっ梅雨”のせいか、
散歩に足を踏み出した、
午前8時過ぎには、
真夏に近い陽射しが
緑の少ない路面では照りつけ、
「愛犬ふ~」の、
足元を脅かし歩速を早めさせた。
ただ、
昨夜は久しぶりに、
熱海市内は、
観光客で賑わいをみせ、
小生のラーメンショップ(Ya~Ya~屋)も、
客の切れ間がないほど、
多忙を極めた。
閉店後、
売り上げが、、
忙しさに見合う額に伸したと、
スタッフから
疲れを吹き払う笑みもこぼれた。
小生も、
午後10時頃から、
ラーメン屋の厨房に押し込まれ、
”洗物”を主とした、
労働力を持って、
スタッフとの連帯感を強めた。
とはいえ、
ペース配分がママならず、
約3時間立ちっ放しで奉仕したせいか、
”坐骨神経系統”に
鈍痛が走り、
屈伸をして和らげたものの、
加齢から来る
体力の衰えも影響しているのかと、
考えさせられた
”大入り日”だった。
大入りといえば、
大阪「新歌舞伎座」公演は、
誰が頭でも、
貸切日が多く、
”大入り袋”が飛ぶそうだ。
その大入りを
約束されている、
「小林旭」芸能生活50周年記念特別公演だが、
既報の通り、
熱海マリーナ社長(小林常男氏)が、
小生の依頼を受け、
前売り券を確保する。

思えば小生、
子どもの頃からの、
映画ファンで、
マイトガイ「旭」の日活映画も、
数多く観てきた。
昭和30年代、
中学校から高校卒業まで、
邦画全盛時には、
映画館に入りびたりだった。
当時、
日活、ニュー東映、
東宝に大映、
松竹の邦画5社に加えて、
嵐寛寿郎、宇津井健、高島忠夫、
丹波哲郎等を排出した、
”新東宝”まで、
封切館だけでなく、
高校の同期生が、
地元釧路の興業主として
映画館も複数傘下に治めていた、
”2番館”、3番館に
何度も足を運び、
邦画各社が配給する映画に、
没頭していた。
、
お気に入りの俳優に
感情移入しつつ、
”俺も主人公のように”などと、
夢想していたことが、
40数年前の日記に
書き留められていた。
この日記帳に実は、
小林常男社長との、
間接的な出会いのルーツが
封じ込められていた。
昭和37年の日記を開くと、
親友「伊木茂樹」(釧路石炭社長)の名前とともに、
当時観た、
映画の題名が記されている。

昭和37年11月だけでも、
「愛染かつら」、
「恋とけんか」、
「燃ゆる若者たち」
「栄光への脱出」、
「ヒトラーかくやぶれたり」、
「赤い蕾と白い花」、
「三人娘乾杯」
「港の略奪者」、
「中山七里」
「くいついたら離すな」、
「ジャングル横丁」、
「絞殺魔」
「お坊主天狗」、
「ギャング対Gメン」、
「ひとりぼっちの二人だが」、
「金門島にかける橋」
「勢揃い関八州」、
「19号埋立地」、
「アワモリ君西へ」
もっと不思議だったのが、
ドクター水素水の、
大丸智里氏が主演した、
「山猫作戦」(東宝映画)を、
昭和37年11月23日(金)に
封切館で見ていたことだ。
このことを、
来る6月27日、
品川プリンスホテルにて開催される、
大丸氏の
社会文化功労賞、
出版記念、
新製品発表パーティーの席にて、
不思議な因果関係について、
その場の空気を読みながら、
披露する予定である。
話がそれたが、
この他、
「恋愛交差点」、
「地方記者」まで実に、
一ヶ月で、
22本の映画を観た事が、
記されている。
(つづく)
投稿者 村山 憲三 : 2007年06月17日 16:55
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