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2006年09月26日

「丹波哲郎」さん霊界への旅立ち


今日は昨日の「政調会」での、
模様を掲載する予定だったのだが、


「丹波哲郎」さんの訃報が届いたので、

昨年のブログにて、
記述した内容を一部加筆して、

今一度”記載”して、
ご冥福をお祈りしたい。


小生が熱海市咲見町で、

料亭旅館「はなむら」を経営していたのは、

昭和61年から63年にかけての2年間だった。

離れが7、大部屋1,個室4部屋の
離れ旅館で、
料理は懐石中心だった。

きつい傾斜の離れの、
部屋出しで
人的にも鮮度の点でも、
不効率このうえなかった。


 (昭和62年4月3日(金)、旧料亭はなむら広間にて丹波氏と龍角散藤井社長)

s-img063.jpg


地続きの”はなむら”を購入したのは
バブルの最中で、

将来的には現ビルを含め
建て替える計画だった。

しかし、念願の旅館主になったはいいけれど、
誘客は常連はほとんどなく、

熱海駅番や
国道や沿道に立つ
立番さん頼りの経営だった。

客単価は25,000円以上で、
そこから、
2割~3割のリベートを支払うと、
中身の薄い、
見栄だけの商売でしかなかった。

板前さんや仲居さんに、
必要以上に気を遣い、
フラストレーションが堪る一方だった。


そこで、考えたのが
「有名人」の講演旅行の類で集客し、
稼働率を上げることだった。

国際放映時代の仲間を伝って、
小生自ら営業に出た。

そんな中に、
渡辺プロダクションに、
東大卒の白石氏がいた。

彼から間接的に紹介されたのが、


丹波哲郎さんだった。


フジテレビで丹波さんが主演した、

「大盗賊」は、

国際放映が製作協力していたこともあり、


挨拶を交わす程度の、
顔見知りだったが、

改まって、
講演依頼となると、
所属事務所や版権を持つ、

「学習研究社」等々の

手続きを踏まなければならない。

それを簡素化して頂いたのが、
白石さんとその友人だった。

むろん、丹波さんの秘書で、

邦エンタープライズ代表の(当時)、
故「東島邦子」さん(来世研究会会長)には
ことのほかお世話になった。

http://www.tamba.ne.jp/


さて、この年より、
一年前の昭和61年、

タレントの「岡田有希子」さんが、
自殺した直後
後追いで多くの若人が命を絶ち、
一種の社会現象となっていた。

丹波氏は
故岡田有希子さんと、
とNHKの「真田太平記」で
丹波さん演じる
真田幸村と娘於菊役で競演していた。

その故岡田さんの死をめぐり、
多くのメディアで、
自身が信ずる、

”霊界”から
俯瞰する形でたむけの言葉を送っていた。

そうしたタイミングを捉え、
丹波氏を招いて講演会を企画し、

大勢の宿泊客と、
地元市民を招いた講演を行ったのである。

(現ムラヤマビル地下。旧駿豆土建の方々の顔が大勢見える)


s-img060.jpg


今から、20年前のことだった。


最近では激ヤセした姿を、
テレビで見かけ心配していたのだが、、、。


希代の怪優(名優)、
丹波哲郎さんのご冥福をお祈りいたします。

投稿者 村山 憲三 : 2006年09月26日 12:08


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