プロフィール
熱海市議会議員
日本映画プロデューサー協会員
(有)ムラヤマ設立
(株)ビックアップル設立
平成11年 熱海市議会当選第一回
平成15年 熱海市議会当選第二回
平成19年 熱海市議会当選第三回
新着記事
熱海の”宿泊減少”に歯止め掛からず
”湯河原”やっさ祭りを堪能
イベント開催に向けてのハードル越え
熱海発~音楽と芸妓、夢のイベントへ向けて
熱海復興の足音
熱海「野外コンサート」への準備(1)
熱海はイベントで復活する!
熱海市民新聞
熱海市介護保険運営協議会
12月定例会閉幕と衝突事故、名古屋の続き
激突!白昼の奇跡
観光福祉委員会
ある辞職議員的処世術
熱海市議会6月定例会
第5回ガーデニングフェスティバルin熱海2005
温故知新~あの頃の憲三
コーカサスの赤い風"1993"(1)
憲三のロシア紀行序文
コーカサスの赤いかぜ 序章
ディスコ「オレンジハウス」
花村四郎氏の場合
初めて建てた家
小生のゴルフ歴
熱海の名店名所名物
熱海マリーナへ行こう!
「せんだみつお」さんと大一楼
来宮神社「大楠祭り」に湯川れい子さん特別参加
マリーナへ行こう2
「天匠」で網代を喰らう!
熱海マリーナは”Bチャンス”の係留地
伊豆で最後のそばや、「加賀そば」
あの人との出会い
熱海の夏祭りに参加か”伊吹吾郎さん”
湘南乃風”若旦那”
”黄詠詩”高級血行治療師(1)
写真で綴る”熱海阿波踊り”の宴(1)
第37回「信玄公祭り」に参加して
いざ出陣!”甲州軍団”(1)
臨時観光大使”大沢樹生”さんと”せんだ”さん
憲三の売ります、買います
幸運のUS5ドル金貨(旧インディアンコイン)
オリンピック千円硬貨
憲三のお勧め品

喜多 薫(著)



高橋 弘(著)



貞方 邦介(著)

伊丹十三DVDコレクション...
「お葬式」日記
コメント
来宮神社例大祭奉幣
└大倉 隆
└波多野の妻
└村山憲三
大阪なんば「メンズビューティー ヘッズ」
└谷口昌司
└村山憲三
湘南乃風&大黒摩季”熱海野外コンサート”
└国交省職員18家族
└村山憲三
伊吹吾郎さんと熱海の祭り
└大倉  隆
└村山憲三
熱海サンビーチに”夏到来”
└通りすがりの熱海市民
月別録
●2007年08月
●2007年07月
●2007年06月
●2007年05月
●2007年04月
●2007年03月
●2007年02月
●2007年01月
●2006年12月
●2006年11月
●2006年10月
●2006年09月
●2006年08月
●2006年07月
●2006年06月
●2006年05月
●2006年04月
●2006年03月
●2006年02月
●2006年01月
●2005年12月
●2005年11月
●2005年10月
●2005年09月
●2005年08月
●2005年07月
●2005年06月
●2005年05月
●2005年04月
●2005年03月
●2005年02月
●2005年01月
●2004年12月
●2004年11月
●2004年10月


次の記事← | トップページ | →前の記事

2006年04月22日

コーカサスの赤い風”1993”(2)

今週は、月曜日に
ナイタイの円山社主、ニコライ、ヘミング氏等と、
飲んで以来、3日間断酒した。

来週月曜日からの「大阪」出張では、
名だたる酒豪が相手とあって、
3日間”休肝日”とし、

葬儀の席でも一切アルコールは口にしなかった。

昨夜も飲むまいと事務所で、
ブログを打ち込んでいたら、

遠藤夫妻から電話が入った。
遠藤夫人がニュージーランドに嫁いだ、
娘さんの所で、
約一ヶ月余り日本を留守にしていたのだが、

帰国して久しぶりの”熱海”の別荘に帰り、
咲見町の「武とみ」で夕食するので、
一緒にどうか、というお誘いだった。

”武とみ”はカウンターも、
座敷も満席の盛況だった。

ニュージーランド土産の”ワイン”と、
芋焼酎を潤滑油に、
”娘と孫”の土産話や、

遠藤氏が開発し小生も導入した、
”監視システム”の普及先と、
データー分析による
”商品”陳列位置移設による
売り上げアップに繋がる分析方法など、
久しぶりとあって、
話題は尽きなかったが、

ご夫妻、
明日は「サザンクロスカントリー」でゴルフと言うことで、
フィニッシュに、
「ラーメンハウス Ya~Ya~屋」にて、
醤油ラーメンと餃子で今夜は締めくくると、
小生の店に。

店には、
今月「ほのか杯チャリティーゴルフ」で優勝した、
記念トロフィーが、
送られてきたいたので、
早速、記念写真と相成った。

s-CIMG3008.jpg

☆☆☆☆☆☆☆☆


チェチェン・イングーシ自治共和国、
”ヤナイ・マモダエフ”次期首相候補が、

元ソウルオリンピック”ボクシング”ヘビー級入賞者で、
元全ソチャンピオン、
”シビエフ・ラムザン”に案内され、

熱海を訪れたのは、今年の春のことで、

九州宮崎付近からスタートした、
桜前線は、
いつもの年より足早に、伊豆半島を吹き抜け、
そのあと、
菜種梅雨が居座り続けていたころだから、
3月下旬の午後と記憶している。

   (1993年旧つるやホテルにて、ラムザン、マモダエフ氏)

s-img408.jpg


シビエフ・ラムザン(34)は、
旧ソ連、ヘビー級のチャンプだった。

身長182センチとこのクラスではやや小柄ながら、
ガッシリと鍛え抜かれた筋肉は厚く、
打たれ強そうな猪首、
分厚く太い腕から繰り出されるパンチは、
シャープで重い。

日本でのヘビー級のデビュー戦は、
後楽園ホール。

ラムザンは、
顔の中央にデンと構えた鼻筋に、
威圧感ある口髭とは対照的な、
格闘家には不向きに思える、
温和な瞳が印象的な男だった。

旧ソ連のボクサーを、
日本プロボクシング協会所属の、

協栄ジム研修生として召致したのは、
新日本プロレス代表の、
”アントニオ・猪木”だった。

日ソスポーツ交流を掲げ、
その第一歩に”ボクシング”を選択した。

仮に日本でボクサーとしてコケても、
ヘビー級クラスの選手であれば、
その話題性から”新日本プロレス”へ
レスラーとして鞍替えも可能であり、
如何様にもつぶしがきく。

1990年2月1日、
日本のマットにソ連人ボクサーが誕生した。

ヘビー級、
ラムザン、スラフ・ヤコブレフ、ルスラン・タラモ、
Jウエルター級、
スラフ・ヤノスキー、

ライト級、
グッシー・ナザロフ、
フライ級、
チャコフ・ユーリーの6人だった。


猪木と金平はプロモーターとしての
力量はずば抜けており、

世界チャンピオン空白に喘ぐ、
日本ボクシング界に旧ソ連からのボクサーを輸入、
プロライセンスを取得させ、
世界に挑戦させることに
活路を見出したとしても不思議はない。

旧ソ連のボクシング界にプロは存在しない。
アマとプロの壁、民族間の風俗の違い、
宗教、言葉の垣根等など、

来日3年間で克服しなければならない、
ストレスは屈強なボクサーと言えど大きく深い。

この3年間で、
世界チャンプを奪取したのは、
フライ級の”チャコフ・ユーリー”だけで、

”グッシー・ナザロフ”を除く、
4人のボクサーは様々な要因が重なって、
残念ながら可能性を没収された。

それにしても、金平会長は強運だ。

俳優”ミッキーローク”がボクサーとして、
日本のリングに登場した、
前座試合が、

「WBC世界フライ級」タイトルマッチだった。

この試合でチャンピオンに輝いたのが、
”ユーリー”で、
金平会長は、僅か六分の一の確立で、
世界をモノにしてしまった。

ラムザンも限界組の一人だったが、
何故か”猪木”は、
新日本プロレスのマットにマッチメークした。

1992年6月12日、
「東京武道館」で行われた、
異種格闘技”超実力者宣言”がそれだ。

この試合で、
ラムザンは、橋本真也と対戦する幸運を得、
敗れたと言えども、
日本のプロレス界の一片に名を残したのである。

この試合から僅か2ヵ月後の8月、
旧ソ連邦が解体され、
独立国家共同体が新たに発足した。

こうした混乱期の中、
エリツィンロシア大統領は一月、
”価格自由化政策”を打ち出したものの、
価格だけの自由化が先行し、
モスクワの街から食料品が消えた。

こうした政情の中で、
日本からの経済支援の必要性と、
北方四島領土問題解決を視野に、

政治家、商社、ECに現地法人のある日本企業が、
混乱期に乗じて、
”コネ”を探り”利権”という鉱脈を求め、
日本の「冒険者」達が、
夫々”抜け目なく”情報を収集していた。

(つづく)

投稿者 村山 憲三 : 2006年04月22日 12:47


みなさんの声


みなさんの声を聞かせてください。




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)