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2005年10月30日
今月の月一親睦「佐口会」
「佐口会」とは、既報の通り
熱海市民の一部と市外の友人関係者で
構成する親睦会であるが、
目的は相互発展のための、情報交換の場でもある。
熱海市内在住の自営業者を中心に、
月一回、小生のラーメン店「や~や~屋」で開催される。
前回は、渡辺周衆議院議員にお越し頂き、
郵政民営化解散総選挙後の
国会内の勢力分布や
年金、消費税値上げ等々に対する意見交換、また、
貞方邦介氏(アルカサバ社長)の、
熱海活性化への”サダカタ的発想”案である
熱海の「モナコ」化への早期実現に関心が集まった。
今回は、平石啓三郎(温泉通り町内会々長)が、
開催期日変更のため、
別件来賓としての所用のため欠席したが、
名古屋の「梶間」氏や横浜の「大竹」氏などを含め、
12人が集まった。
今回は、予てから「大竹」氏が提唱し、
貞方邦介氏が賛同する、
全く新しい発想での町おこし案が披露された。
「熱海ラテン化計画」についてである。
「人が群がらずして発展はない」という、
基本的再生プランに合致するのか
「熱海ラテン化計画」。
では、
大竹啓之氏の
活性化計画実現性について、
大竹氏関係者から集めた資料も含め検証してみたい。
大竹氏は、
横浜市鶴見区で、2件の「ブラジル」レストランを経営している。
ブラジルレストラン「セグレード」と、
ショーレストラン「セグレード」である。
(写真は大竹氏と奥さんのエナさん。めちゃうまWaiker横浜ハッスルグルメ!05/4/7号より)

大竹氏は熱海市清水町の出身。
各有名レストランで修行した後、
ブラジル大使館後援の独立記念祭での
食事部門担当シェフに推挙され、
多くのブラジル企業家との付き合いを広く深く構築してきた。
この大竹氏の
「熱海ラテン化」計画」にことのほか
関心を寄せたのが、
「貞方邦介氏」(アルカサバ社長)。

写真は、熱海ラテン化計画に対して、熱く意見交換する
梶間、外久保宏一、矢野、山田のメンバー。

では、大竹氏の「熱海ラテン化」計画、
その素案を掲載してみる。
熱海ラテン化計画(素案)
大竹啓之
はじめに、
熱海市の温泉町としての全国的知名度を上げたのは、
金色夜叉に負うところが多々あります。
とは言うものの要素でしかないでしょう。
実質的な熱海の発展は、
東京オリンピック、大阪万博など、
日本経済の高度成長期であります。
国を挙げてのレジャーブームは、国鉄のディスカバージャパンの
プロジェクトでピークとなります。
そしてバブルの崩壊。
一方、旅行業界は成長期の円高というテコと、
為替格差を背景に近場海外のリゾートパッケージを開発し、
若者向けに国内旅行と同じ価格帯の商品を売り出します。
温泉、国内旅行は高年齢、若者は海外という
旅行の図式は、この時期形成されました。
この図式は、バブル崩壊後にも温泉町に打撃を与えます。
高齢者の国内旅行の市場にも海外のリゾートの
日本語のインフラを整えることによって集客し、
温泉場に出向く高齢者を奪っていったのです。
温泉地のロケーションは異なっていても、
家族旅行、団体旅行の受け皿である、
旅館・ホテルというインフラを町は持っています。
このインフラは、地域の歴史と同じようにあり、
熱海の資産を可視、不可視を問わず
検証しなおし新たな町おこしを考えていきたいのです。
(原文のまま)
(つづく)
やはり・・スコアが・・・
28日(金)朝7時、
枕もとの目覚ましで起こされる。
夕べ一緒に「柿の木」に付き合った
女房が覗きにくるが覚醒とは程遠い。
午前8時、「加藤則夫」議員宅へ
ゴルフバッグを下げ歩くも運ぶ足は重い。
高橋幸雄議員のクラウンに乗ると、
クンクンと顔を顰め運転席の窓を開ける。
キムチにマーボに餃子、
ガーリックピザに焼酎と赤ワイン、
ゴチャゴチャにミックスした異様な臭気が
気の毒にも、高橋議員の乗用車の中を
あっという間に充満したのである。
加藤議員は常時着装しているマスクだったからまだしも、
高橋議員には昨夜の状況を軽く話し、
サク~イ匂いについてお詫びを入れる。
今日のメンバーは、
加藤、高橋議員のほか、
若井、岡、橋本の各議員と小生、
元役所OBの7人、2組。
小生の組のメンバーは、
何時ものように、加藤、若井議員に岡議員が入り、
若手の飛ばし屋、高橋、橋本議員は職員OBとの組み合わせだ。
加藤議員は、”K-ゴルフ”(上宿町)で仕入れた、
ドライバーをシッカリ馴染ませ、
何時もより距離が30ヤード以上伸びていく。
それに控え、小生は案の定メタメタ。
インコースからのスタートだったが、
ドライバーもアイアンもパターも、精神が集中できず、
何とここ10年以上も記憶に無い、
「65」という数字を叩き、無様なスコアで
ライバルの「加藤」、「若井」議員を喜ばせてしまった。
スクラッチでチョコレート争奪ゴルフの我々3人と、
ニアピン、オリンピック(ワンパット競技)には、
岡議員も参加している。
ハーフを終えてクラブハウスで待ち構える
「高橋」、「橋本」議員は、46と43、OBも43と、
スマートなゴルフなのに、
小生のスコアは全く話にならない。

加藤議員が気の毒そうに、
「ケンちゃん、ゴルフはスコアじゃないよ」
「参加することだよ」と、慰めるも顔は綻んでいる。
ところが、アウトコースに入り、
どうなっちゃってるの、の、46で回ったのである。
パーが3個で、ショウートホールは2ホールとも、
ワンオンしたのである。
ニアピンは惜しくも岡議員に出し抜かれたが、
オリンピックも銀を連続取れたのである。
しかし時既に遅し。
優勝は「加藤則夫」議員が、49-48=97で輝き、
副賞をしこたま手にしたのである。

ちなみに、若井議員は、50-50=100、

岡議員は、今回はダライバーを使い
57-52=109で回った。

小生、65-46=111で最下位のお粗末。
この後、
11月2日には、一ヶ月ぶりの
「ほのか杯」争奪ゴルフ大会が、
11月7日には、年2回の
「阿吽会」(2市2町議員親睦ゴルフ大会)が
忘年ゴルフとして待っている。
さて、今夜は小生の店で、
月一親睦会「佐口会」があり、
貞方邦介社長(アルカサバ)が来る事になっている。
今夜もアルコールは切れそうもない。
2005年10月29日
ゴルフ日和も・・
「ホテルグランドコート名古屋」を後にしたのが、
午前11時30分を少し過ぎていた。
(ホテル20階の部屋から金山駅周辺を撮る)

昨日やり残した用事を済まし、
「梶間」氏(マジマ不動産)と待ち合わせた、
名駅エスカ地階にある、
「山本屋総本店」に入ったのが,午後1時ジャスト。
並んではいたが何時もよりは客が少ない。
生ビールにお新香のお変わり、
シンプルな”味噌煮込みうどん”一半でお腹を満たす。
梶間氏は、先月から熱海市内で行われる、
月一親睦会「佐口会」のメンバーである。
一日早いのだが、熱海に連泊することになっていた。
不動産業を手堅く経営する傍ら、
商品先物取引を嗜んでおり、
ここの所、「石油」関連と「コーヒー」で懐が温かいようだ。
新幹線の中でも、モバイルを立ち上げ
相場の上げ下げを入念にチェックしている。
小生は「先物取引」に対する知識が弱く、
お付き合いするのをご辞退している。
今回は梶間氏、「サンミ倶楽部で連泊。
チェックインのあと、小生のビルに。
山口多加志社長が大阪・「鶴橋」の「山田商店」から
送っていただいた”キムチ”が届いていた。
早速、釜山旅行の仲間、
「太一楼」(中華レストラン)に届ける作業に
お付き合い頂く。
先日釜山旅行の祭、仲間に現地土産として
持ち帰る予定だったが、
日本人に一番人気のあると、
山口社長が推薦しプレゼントを約束した
山田商店」の白菜キムチである。
加藤登氏(太一楼)と山口社長にお礼の電話を入れた後、
生ビールと、20年物の「紹興酒」2本を、
「餃子」や「マーボ豆腐」をつまみにして、
売り上げの協力をさせていただく。
このあと、我々は「KKR]にて
昨夜から続いている、サケを抜きに
サウナでリフレッシュということに。
午後10時過ぎ携帯を見ると留守録が。
来宮神社「宮司」さんが小生のビル2階にある、
クラブで待っているとのことだった。
連れとご一緒でご機嫌の宮司さん。
ご紹介やら来月の「お伊勢旅行」の話で盛り上がり、
珍しく長時間に渡ってのお楽しみだった。
午前12時を回った頃、宮司さんを見送ると同時に
レストラン「柿の木」のオーナーが
奥さんを連れ立って店内に入ってきた。
梶間氏と大いに気が合ったようで、
双方「カラオケ」歌合戦の後、
店がハネタ後、「柿の木」を再開し一杯呑ることとなったのである。
(新幹線の中電波の受けを気にしながらPCを見る梶間氏と柿の木での一こま)

そしで午前4時過ぎまで大騒ぎだった。
この朝、8時に「ゴルフ」に出かけるのをまで、
あと僅かしか時間が残されていなかったのである。
2005年10月28日
ありがとうエクザイルの「アツシ」さん
釜山から帰って一日置いて、
名古屋市内で2件の打ち合わせがあり、
午前10時44分の新幹線「ひかり」に乗車、
名鉄に乗り換え、「金山駅」で下車、
駅前の全日空「ホテルグランコート名古屋」へ。
ホテル30階にある「スカイレストラン」で昼食を
兼ねた打ち合わせを終え、梶間丈晴社長(カジマ不動産)と
大須にある、友人が経営する「時計店」へ。
午後18時、再び「ホテルグランコート名古屋」へ。
波多野ご夫妻、朽木ご夫妻と会食予定だったが、
大阪から、松本哲治社長(タックワールド)が、
元気な姿を見せて、会いたかっただけに”ツイ”ている。
食事はホテル3階にある「雲海」で、
和食のコースをご馳走になる。
釜山の旅行記や波多野社長の会社の決算報告、
小生が持ち込んだ、ギンザブロードバンド放送という
新規モバイル放送局の企画書に対する意見交換などで、
話が盛り上がった頃、
波多野夫人が一枚の写真を小生に。
「エクザイル」の
名古屋レインボーホール公演で、
波多野ご夫妻の娘さんが、
ボーカルの「アツシ」さんとツーショットの、
ご機嫌な写真だった。
(左から、アツシさんと波多野嬢)

「アツシ」さんファンの波多野嬢は16歳の高校生で、
身長が170センチを越える均整の取れたお嬢さん。
アツシさんとご対面は、念願かなって大喜び。
ただ、残念だったのは”色紙”を持ち込んだが、
サインを頂戴するのを忘れたとか。
(左から、波多野夫人、朽木ご夫妻)

(左から2番目が松本社長、波多野社長)

11月、確か25日の「埼玉スーパーアリーナ」での
エクザイル公演に小生が出かける予定なので、
その時に頂いてきますと安請け合いを。
アツシさん、
面会できた「波多野嬢」に成り代わりまして、
厚く御礼申し上げます。
来月予定されている「埼玉スーパーアリーナ」での公演を前に、
是非、林君と一緒に小生のラーメンハウス
「Ya~Ya~屋」に来て下さい。
スパーガーリックを用意して待っています。
さて、この日は「グランコート」を波多野社長に
お取り頂き、泊ることに。
この後、再び「梶間」氏と、
ホテル近くの「素材屋」(木曾路系列)で飲みなおし、
お連れしていただいた「カラオケ」ハウスで、
午前2時まで。
あとは、2510号でバッタンキュウーと、
とても実りある、いい日でした。
2005年10月27日
釜山「海雲台」旅行記2
昨夜は「銀座カラオケ」では、
焼肉で膨らんだ体内のカロリーを消化すべく、
ドクター安井、加藤、岩井、そして小生と
ガイドの朴さんとジョンチョル君がボックスに座る。
30坪ほどの店内は日本のスナック的造作だが、
他にお客はいなかった。
焼酎のボトル、ビールに赤ワインに乾き物が、
注文とともに、
カラオケブックとセットでテーブルに積まれる。
薄暗い店内には、
”デンモク”がないため、それぞれ老眼マナコを開きながら、
分厚いページを括りながら曲目を探す。
祝いテルさんが”裕次郎”もの、
小生は、”鳥羽一郎”シリーズで自己満足。
ムード歌謡で決めた加藤登氏(太一楼)。
「昴」と「マイウエイ」で存在感のドクター安井。
それぞれがストレスなく歌っている間、
日本の「クラブ」の如く、
オーダーしない”フルーツ”2台が狭いテーブルを割ってはいる。
午前12時を少し過ぎたころ、
やっとお客が入り、挿入した歌が順番待ちになったころ、
小生をはじめ、欠伸の連鎖反応。
さ~て、チェックは
”〆て”お一人様「5,000円」也。
ホテルに入る前、コンビニで食料品と酒を仕入れ、
小生の部屋で、仕切りなおし。
気が付けば朝日がカーテン越しに。
8時を過ぎ、海岸を散歩。
多くの人たち(地元・観光客)が海岸線に沿い、
朝日を受けエンジョイしている。

午前11時、ガイド「ヨンチョル」君と
山口社長がロビーに。
国際市場にショッピングはスケジュール通り。

小生は目的の沿って、
洋服と靴、カバンを求め「山口」社長の推薦する、
「大阪洋行」という店舗で、
ほぼ買い物欲を満たす。

昼食は、小生が推薦したガイド「ヨンチョル」君の店、
チァガル一階にある海鮮レストラン。
ワタリ蟹、烏賊、蛸、ヒラメを注文、
オオバにネギと大蒜、韓国味噌で包んだ味は、
ただ、ウマ~イの一言。

食事が済めば、ホテルに帰り
念願の”カジノ”に挑戦である。
ホテルの部屋から海岸線写し、全員でホテルカジノへ。

さて結果は、
勝ったのは、ドクター安井一人の5万6千円。
加藤氏マイナス7万円、小生マイナス3万円。
岩井氏別行動のため詳細知らず。
写真は記念の1000ウオンチップ。


この日の夕食は、再び昨夜の焼肉レストランへ。
味付けかルビより美味い肉”生かび”にトライ。
美味い、ウマイ、うまい。
釜山「海雲台」パラダイスホテル最後の夜は、
小生の部屋で打ち上げ、
翌朝10時、飛行場へ向かう途中に国際市場により、
韓国式炒め飯で昼食を済まし、
飛行場へと。
朴ガイドが2日目以降パッタリ姿を見せなかった
ことを除いて、小生にとって満足度100%の
2泊3日の釜山「海雲台」の旅は無事にフィナーレを迎えたのでした。
山口社長、松本社長、来れなかった安井会のメンバー、
ジョンチョル君、ありがとうございました。
2005年10月26日
釜山「海雲台」旅行記
「安井会のんびり釜山」2泊3日の旅は、
岩井氏が旧知の、
沼津市にある旅行社「東静トラベル」さんを通し、
出発は成田からで、航空会社はJALだった。
小生だけは、山口社長のご好意に甘えたため、
ホテル代金を引いた金額で参加させて頂いた。
成田に到着し手続きを済ませても、
1時間半ほど時間的余裕があったため、
午前10時をまわったばかりだったが、
旅という事もあり、
レストランで軽く”飲り”時間をつぶした。
12時25分の定刻を少し過ぎ、
JL-957便は一路「釜山」金海国際空港へと飛び立った。
機内では全員が早朝熱海を出発したからか、
レストランでワインを飲んだ影響からかは
定かではないものの、短期熟睡し、
気が付いた時には、14時を少し過ぎており、
飛行機は着陸態勢に入っていた。
タックの松本社長は残念ながら、
時間調整が出来ず、今回はパスということだったが、
入管手続きを済ませ、到着口を出ると
「山口」社長が韓国人社員と、
今春、ガイドを務めてくれた、
チャガル市場で鮮魚店”チョリ商会”を経営する、
ジョンチョルさんが一緒に出迎えてくれた。
「東静トラベル」社が用意したガイドとともに、
パラダイスホテルに着き、
岩井、加藤組はホテル内のカジノへ、
小生とドクター安井(安井産婦人科病院院長)が
マッサージ組の二手に別れ、
夕食への出発時間を午後19時ロビー集合ということで、
それぞれが部屋に散った。
小生は、前回と同じく「山口」社長がリザーブした
15階のスイートルームだった。
海草マッサージから顔、足裏まで、
タップリ1時間半コースでリフレッシュし、
19時にロビーに集合すると、
加藤氏は1万円ばかりスッタようだが、
”ルーレット”だけだったが十分に楽しんだということだった。
東静トラベルのガイドさんは、
「朴採道」(パクチェドゥ)さんという名前で、
驚いたことに、

という名刺を頂いたのは、
「アムソカルビ」という焼肉ハウスの席についてからだ。

聞けば、熱海旅館ホテル協同組合長さんや
熱海商工会議所会頭さん等が
懇意にするガイドさんだったのである。
ここで熱海市を宣伝をする
名刺を持つガイドさんがいるとは正直驚いた。
(写真左より山口社長) (ジョンチョルさんとお変わり自由の味付けサンチュウを口にする小生)

前菜は、トレーの上の皿に区分けされた、
「サンチュウサラダ」、「ムルキムチ」(水キムチ)、
「トラキムチ」(大根の細切り?)と、
「味付け豆腐」に、ニンニク味噌が
お変わり自由で配膳される。
(焼肉ハウス2景)

これだけでも焼酎のツマミには大満足である。
このお店は地元のお客で溢れているだけに、
注文した食材は全てに全員が納得する味だった。
味付け骨付きカルビ(写真右下)や肉を焼く鉄網に
スープと芋が原料の麺(カンジャンドン?写真左下)という

メニューをはじめて口にしたがこれもバカ美味。
ラストメニューは特製テンジャンチゲ鍋。
ライスに鍋の具と汁を少し入れて、
スプーンで掬うと、お腹がパンパンに膨らんでも、
食えるから不思議である。
最も、ドクター安井が、
韓国料理には唐辛子がタップリ含まれ、
その成分である、
カプシンサンが多少食べても太らせない、という
専門化の知識に感化されていたのかは定かでないが、
よく食い、よく飲んだのである。
飲んで食べて満足度を満たし、
日本円で一人5,000円ほどだった。
10時少し前、勘定を済ませ、
「カラオケ銀座」という名のカラオケハウスに
案内してくれたのは、ガイドの朴さんだった。
(つづく)
2005年10月25日
釜山港へ”変えれ”
~椿咲く~春なのに~
あなたは~帰らない~
韓流ブームが日本の社会現象になる20年以上も前、
日本人のハートを捉えたのが、
韓国人女性歌手が歌った、
「釜山港へ帰れ」だった。
その後、同じ韓国男性歌手”チョーヨンピル”が歌い、
渥美二郎や美川憲一バージョンも発売され、
そこそこに売れたという記憶がある。
今年春、その釜山へ行くことができた。
小生のブログを管理運営していただいている、
松本哲治社長(大阪・タックワールド)が、
小生を「釜山」2泊3日旅へ誘って頂いたからである。
2日目には、
釜山の高級リゾート「海雲台」にある、
カジノホテル「パラダイス」に、
それも”ダイヤモンドスイート”という超一級の部屋を
わがままし放題に使わせて頂いた。
(パラダイスホテル・ホテルパンフより)

それも、小生が”ツイ”ているのは、
松本社長の友人であり、
釜山でも事業を展開する、
「山口多加志」社長が、
(大阪市生野区・不動産・アミューズメント関連会社経営)
我々の日程にあわせてわざわざ渡釜し、
このホテルにご招待して頂いただけでなく、
名所旧跡の案内までもご一緒していただき、
超ビップな気分を堪能できたことである。
韓国料理やエステ、射撃、国際市場に龍宮寺等、
食べたいこと、経験したかったこと、
探索したかった場所等
満足度100%の「釜山」旅行だった。
さらに、高層建築林立する都市事情を
目の当たりにし、熱海市の時代に逆行する閉鎖的な
為政者の行政能力を改めて
知らされた旅でもあったことは既報の通りである。
機会があれば、
近いうちにもう一度行ってみたいと思っていた矢先、
それが現実となったのである。
その経緯はこうである。
小生は熱海市民10人ほどで構成される、
「安井会」のメンバーである。
既にブログにてご案内の通りだが、
”月一”、市内で食事とともに
情報交換をする場で、
年に一回は海外旅行へ行こうという目的も持つ。
但し、小生がメンバーに加わってからは
一度も海外旅行とは無縁だった。
理由はメンバーの大部分が自営業で、
全員の時間調整が困難なことにあった。
それでも、タイやベトナム、中国など俎上に乗り、
話題だけは切れたことがない。
「今年こそ絶対に行こう」
「行けない人が居ても文句は言わない」
「近場なら参加者が多くなるはずだ」など、
今年中に旅行する案が現実味を帯びてきた。
「韓国に行こう」
「済州島かソウルだな」
仲間は過去の渡航経験を踏まえて候補地をあげる。
そこで小生は、上記の理由を心に秘め、
「私も是非参加したいが、どうせなら
”釜山”にしたら」と推薦したところ、
あっさり決まったのが8月の集まりでのこと。
”釜山港へ変えれ”という、寒~いイジンギャグの所以である。
旅行担当は、
「岩井輝一」氏(進学塾経営)であり、
全て任せたところ、
何と、宿泊先が「海雲台」の”パラダイスホテル”だったのである。
さらにさらに”ツイ”ているのは、
前述の「山口」社長が来熱の祭に、
「ステーキはまだ」にてこの旅行の件を話すと、
時間を割いてでもご案内しますと
何とも有難いお言葉を頂戴したからである。
そして現在は公私とも多忙で、
ここ数ヶ月会っていない、
タックの「松本」社長にもお誘いしたところ、
行けるかもしれないという返事があったから尚更だった。
今度の目的は参会者全員が「カジノ」を楽しむことにあった。
小生も、もしもカジノで勝てれば、
洋服を購入し、釜山焼酎「スワン」を飲みながら
美味い食事をした後、
「パラダイスホテル」4階にある、サウナ&スパで、
垢擦りをし、
韓国式マッサージで心身ともリフレッシュする
少しでも足しになるかな等と想いを走らせる。
(パラダイスホテル2階にあるカジノ・・ホテルパンフより)

さて前置きは長くなったが、
そんなわけで、
「岩井輝一」、「加藤登」、
「安井洋」の各氏と小生の4人は、
10月22日(土)~24日(月)の日程で、
「安井会のんびり釜山2泊3日の旅」へと出かけたのである。
(つづく)
2005年10月23日
「歌奏」(かなで)の笑顔
小生も考えてみれば来年60歳。
昭和21年11月3日生まれだから、
間違いなく”還暦”だ。
普段動き回っていると年のことなど気にしたことはない。
ところがである。
愚息の娘が家に来るとその思い上がりが吹っ飛ぶ。
熱海マリーナの小林社長は、
「人気稼業に携わるもの孫を抱いた
姿を人に見せたら一気に老ける」と、
ある有名俳優を指して言った。

小生も公人の端くれとして、
人様に見られる立場であり、ある面
関係者を牽引していく側面も持つ。
外見的にも内面的にも弱さは見せられない。
ところが、どっこい。
孫の笑顔に接しプリンのようなほっぺに触れると、
思わず抱きしめてしまう。
「ほ~ら、カナデちゃん。お爺ちゃんだよっ、わかる~っ」
「レロレロ、ば~っ」
来年、心身とも60歳を迎える小生でした。
熱海渚地区市街地再開発事業(3)
この開発事業に対する地権者は、
53名(土地・建物所有権者)いるが、
山田治議員を始め各議員から、
「相続の場合、共有部分として
子供の数だけ地権者が増えないか」、
「53名の地権者は誰が決めたのか」
「熱海市が認めている地権者名簿提出」、
「現在繁盛店への営業保証や代替地の問題」
「どうしても開発事業に参加したくない地権者への対応」、

「都市計画法をタテに強制立ち退きという手段をとるのか」
「都市計画上の説明会なら、
全ての地権者を集めて行うべき」
「熱海市は地権者の一人、
市長はどう考えているのか」

「9月14日に正式な説明会をやるといったが、
実質的な地権者は1人で他は5人ほどしか来ない。
事業概要説明を事前に
地権者に連絡していないのではないか」等の
質問が矢継ぎ早に飛んだが、
残念ながら出席した職員の口はことのほか重い。
11月8日(火)午後2時から、
熱海市役所4階会議室において、
「熱海市中央渚北地区市街地再開発事業」にかかる、
公聴会が開催される。

しかしこの公聴会は、
都市計画法第16条第1項の規定に基づいて、
案の作成にあたり、市民の意見を反映させるという趣旨だが、
公聴会は事業に対する意見を述べる場であって、
質問する場ではないという、シバリがある。
大手ゼネコンからの金銭的支援等も一人歩きしており、
いずれにしても、
この開発事業に関して、
川口市長は最大の権威者であり、
その責任は重い、という見解で「11会」の
開発事業に関する担当職員との第一回意見交換は終了した。
2005年10月22日
熱海渚地区市街地再開発事業(2)
この「熱海中央渚北地区市街地開発事業」(以下開発事業)の
最大の地権者は、この地域に
755㎡の市営駐車場を持つ「熱海市」である。
旧京王帝都から、
4億7千万円もの市税を投入した経緯がある。
(写真は渚市営駐車場)

山田治議員は、
「準備組合はドンドン計画を進めているようだが、
補助金対象事業には、公共空間をつくるのが条件付けされている。
最大の地権者である”熱海市”は、
現在どのような立場にあるのか」と質すと、
「3~4階で公共空間をつくる予定で、
本組合が設立され、
都市計画決定後に熱海市も組合員に入らなければならない」と、
植松建設部長は応えた。


また、植松部長は
「出来れば現駐車場に多目的な施設を保留し、
観光客や市民に有効利用していただきたい」との見解を示した。

また、熱海市中央渚北地区準備組合は、
前記の、高さや敷地の間口幅の変更だけでなく、
1、建物の四方を壁面後退することにより、
歩行者空間の確保
2、海側の2階(デッキレベル)にコースタルと
一体的にイベント利用できる多目的広場の確保
3、海側から渚通り2号線(中通り)に抜ける自由道路の設置
4、コースタルと再開発ビルを結ぶ歩行者デッキの設置等の
確保検討による早期実現を目指している。
ただ、総工費約80億円。
都市計画法適用時には、
補助金対象金額「18億円」が算定されれば、
国が1/2の9億円、静岡県は1/3の3億円、
熱海市は2/3の約6億円の補助事業となる。

この事業推進に対する意見はまだ続いたのである。
(つづく)
2005年10月21日
熱海渚地区市街地再開発事業(1)
10月21日(金)午前10時より、
熱海市庁舎5階「議長応接室」において、
熱海市議会超党派「11会」の勉強会が開催された。
出席したのは、加藤則夫、山田治雄、村山憲三、
山田壽美、井沢共一、橋本一実、高橋幸雄、梅史子の各議員。
テーマは、熱海市中央渚地区市街地再開発事業に
関する担当部署担当者を招き、
現在までの進行状況を含めた、
事業説明とそれに関する各議員の意見交換である。
(再開発事業計画の渚中央地区)

(この問題に対して11会所属議員に呼びかけた、加藤、山田治議員)

この事業の経過をかいつまんで説明すると、
平成7年5月
「渚地区まちづくりを考える会」として発足、
平成11年11月、
「渚中央地区まちづくり協議会」(故田中会長以下会員104名)
として設立され、
平成12年8月には「初川」~「糸川」にまたがる、1ヘクタールの区域に
高さ62mの基本計画議会報告が発表された。
平成15年1月には、
熱海中央渚北地区市街地再開発準備組合設立総会が開かれ、
理事長に「吉田耕之助」(つるや質店)が選出され、
0,6ha.に規模が縮小された。
平成16年度1月には、
建物の高さが約55m.・見かけ幅1/2に事業計画報道説明があり、
2月には、第2回目の市議会議員、地権者説明会が開かれた。
3月には川口市長に対する事業計画等の説明が行われた。
今年度に入り、
近隣町内会(旭町・浜町・銀座町の一部)に対する説明、
8月には「市民対象説明会」が行われ、
建物の高さが50m.・見かけ幅1/3変更説明、
借家人対象意見交換会、
地区内女性対象説明会が順次行われ、
9月に入り「都市計画法」上の説明会が行われたが、
出席人数が極端に少なく、
今月行われた、旭町・浜町・中央渚町を対象とした、
都市計画上の説明会(相談窓口)には、
地権者1名を含む僅か6名が参加したにとどまり、
この事業計画推進に対する利害関係者や
近隣住民の”賛否”をめぐる、
声が大きくなっており、
そうした問題も含め、
加藤、山田治議員から
熱海市建設部「植松」部長と、
まちづくり課「菊地」担当職員に対する
厳しく真摯な意見が飛び出した。
(つづく)
2005年10月20日
故「金平協栄ジム」会長
昨日の続きになるのだが、
「ドクター中松」の欄でもチラッと顔を覗かせたのが、
協栄ボクシングジムの「故金平元会長」。
金平会長といえば、
世界チャンピオンだけでも、
古くは、フライ級の「海老原博行」、フェザー級「西城正三」、
Jrフライ級「具志堅用高」、Jrライト級「上原恒常」、
Jrフライ級「渡嘉敷勝男」、Jrバンタム級「鬼塚勝也」等
日本人ボクサー6人と、
旧ソ連出身の「勇利アルバチャコフ」、オルズベック・ナザロフ」等
元選手を合わせると実に8人の世界チャンプを育ててきた。
現在では、前スーパーバンタム級世界チャンピオンだった、
「佐藤修」選手や、
18歳で「東洋太平洋フライ級」チャンピオン王者となった、
難波の闘拳「亀田興毅」選手が所属している。
「金平元会長」も基本的には
五味武会長(国会タイムズ・グローバルレインボーシップ)人脈で、
生前は、湯河原を含めた熱海周辺での、
場外車券売り場設立構想を実現すべく、
元メガネスーパーの重役「I]氏共々駆け回っていた。
平成9年3月8日「旧つるやホテル」で開催された、フォーラムでも
この案件もテーマとなったものの、
丸金コーポレーションが頓挫しつつあった、
熱海駅前「ウインズ」開設問題が大きく立ちふさがり、
軽い話にとどまった。
(写真左より小生、故金平会長、歌手仲宗根美樹さん、
大川啓一元国会タイムズ編集長、故力道山子息百田氏)

(旧つるやクラブにて、故金平会長、小生、河合浩道桃山旅荘社長、ドクター中松秘書)

実は故金平会長は小生とは別の横糸で結ばれていたのである。
(1998年当時の、旧つるやを含む東海岸町ホテル旅館街)

なぜ結ばれていたか、
それは旧ソ連出身のボクサーに関連している。
小生の熱海後楽園時代の同期生に、
小野崎という男がいる。
小野崎氏も小生と同時期に後楽園を退社し、
家業のタイル屋を継ぎ、
子供の成長とともに、外国芸能人招聘会社を設立した。
その小野崎氏のプロダクションに、
アントニオ猪木氏が招聘し、
故金平会長の協栄ボクシングジムに、
「勇利アルバチャコフ」、「ナザロフ」等とともに
来日入門した選手の中に、
ヘビー級ボクサー「シビエフ・ラムザン」選手がいた
小野崎氏のプロダクションが、
旧ソ連から「タレント」招聘も業務にしていた関係からか、
練習が終わると事務所に立ち寄り親交を深めていた。
その連中を小野崎氏が小生に紹介してくれ、
特にラムザン氏が小生と親しくなり、
練習の合間を縫い何度となく「熱海」に遊びに来ていた。
「ラムザン」氏は確か小生の記憶では、
ソウルオリンピックヘビー級で”銅”メダルに輝いたはず。
しかし結果から言えば、協栄ジム入門の旧ソ連重量級ボクサー3人は、
アメリカのライセンスを取得することなく、
母国に帰っていったという。
(小生の中央町事務所でのラムザン氏と初代ジョンとパピヨン)

ただ、この「ラムザン」氏は、1991年
先ごろ急逝した「橋本真也」選手と、
異種格闘競技という冠で戦い、スポーツ紙面を飾ったが
敗戦したあと直ぐに勃発した旧ソ連崩壊を機に、
祖国へと足早に帰国したのである。
そして一年後、ラムザン氏はある要人を伴い
熱海に訪れてきた。
まず最初に面会していただいたのが、
高橋弘「日本ジャンボー」会長だった。
(写真左より高橋会長、マモダエフ暫定経済相、ラムザン氏)

シビエフ・ラムザン氏は
”チェチェン・イングーシ共和国”の出身だったのである。
そしてこの年、1993年、
小生は「チェチェン・イングーシ共和国」(当時)に、
小野崎氏のプロダクション関係者等と
招かれたのである。
当時日本人が殆ど足を踏み入れたことない、
「チェチェン・イングーシ共和国」の首都「グローズヌイ」。
今は内戦の影響で、
町並みは跡形も無く崩壊したとの報道だが、
小生は当時の貴重な写真とビデオに
1993年当時の美しい風景を収めている。
こうした旅行記や旧ソ連移入ボクサーの話を、
故金平会長は、小生を新宿高層ホテルにある
ご自分専用の特別室で、
ビールを飲みながら聞いてくれた日のことを思い出す。
2005年10月19日
「ドクター中松」氏イグノーベル賞受賞
今月6日、あの「ドクター中松」氏が、
35年間、自分の食事撮影してきたことで、
人を笑わせる研究で科学への関心を
高めた功績に贈られる「イグ・ノーベル賞」の
栄養学賞に、選ばれ米ハーバード大学で
授賞式が行われたことが報道で大きく取り上げられた。
共同通信によれば、
授賞理由は、35年間にわたり
自分が食べたすべての食事を撮影し、
食べ物が頭の働きや体調に与える
影響を分析したというもの。
「イグ・ノーベル賞」はハーバード大系の
パロディー科学誌が「人々を笑わせ、そして考えさせる」
研究に対して贈呈する毎年恒例のイベント。
医学、物理学、平和などの賞があり、
賞の贈呈役は本物のノーベル賞受賞者らが務めるそうだ。
ドクター中松氏こと「中松義郎博士」との
面識は古く、国会タイムズ時代に知り合っている。
最近では、貞方邦介氏(アルカサバ社長)の
出版記念パーティでお会いし、小生のブログにも登場している。
今回の受賞の後、
10月28日(金)7時から開催される、
受賞祝賀会の案内も届いている。
さて小生はこのドクターがご自分の食事を
キャメラに収めている、
貴重な写真を所持している。
それがこの写真である。

これは平成9年3月8日のことでした。
国会タイム時主催のフォーラムが、
旧「つるやホテル」で開催されたときのショット。
写真は、小生と河合浩道氏(桃山荘代表)

めったに笑わないドクターが笑っている写真。

この日集まった主な方は、
五味武ご夫妻、藤岡弘、ドクター中松、故金平協栄ジム会長、
佐藤陽子、故岡本功(元つるやホテル社長、元熱海市議)の各氏。

この日は、五味会長が
旧「つるやホテル」社長就任を噂される
故「岡本功」氏を励ます会としてのテーマも持ち、
バブル以降の閉塞した熱海市の観光行政の
あり方についてデスカッションシした記憶が残っているが、
この数時間後、ショッキングな出来事によって、
小生の頭の中から、
会議の内容が一瞬にしてかき消されたのである。
それは、佐藤陽子さん(バイオリニスト)の
パートナーで
このフォーラムに参加する予定だった、
「池田満寿夫」氏(画家・版画家・陶芸家)の
急逝に遭遇したためである。
こうした節目を思い浮かばせる、
ドクターの受賞に、結ばれた糸にたぐい寄せられるかのように、
不思議な巡り会わせを感じずにはいられない。
2005年10月18日
馬頭琴奏者「NAGISA」さん
原宿ルセーヌ館で開催された、
「名月艶遊会」は、食事や交歓会の後
馬頭琴奏者「NAGISA]による、ソロ
「望郷」を皮切りに静かに始まった。
「月夜の舞」のあと、「ウルグナ河」、「大地の心」、
「蘇州夜曲」、「月がとっても青いから」の演奏では、
舞踏家パフォーマンス「HIROMI」が、
オリジナルな即興的で華麗な踊りで会場を”艶”で彩りする。
アズベール前夜祭では
耳にすることのできなかった、メロディを聞くうちに、
モンゴル慰問に訪れた時のことが目に浮かんでくる。
(原宿ルセーヌ館内で演奏するNAGISAさん)

まず、馬頭琴奏者
「NAGISA」のプロフィールをご紹介しよう。
本名:阿部 渚(あべなぎさ)
1982年生まれで、3歳でバイオリン、4歳よりピアノを始める。
中学生ではサックスを始め、
馬頭琴を頼玉龍(ライ・ハスロー氏)、ジャズピアノを北田了一氏、
サックスを原博巳氏の各氏に師事。
国立音楽院研究科作曲アレンジ科在学中。
1986-2000年/盛岡市芸術祭に演奏者として参加。
2004年/ソウルで馬頭琴を演奏し一躍脚光を浴びる。
2005年/広島、島根、静岡、千葉、埼玉、東京など、多数出演。
(NAGISAさんのアップと、右真ん中は母親の阿部裕子さん)

各演奏終了後に、息を整え清楚なロン毛を
かき上げ弦の調子を確かめる横顔からは、
近い将来には第一線に躍り出てくる可能性を秘めた
オーラのようなものが漂っている。
小生が「モンゴル」へ行ったのは平成10年のことだった。

「グローバルレインボーシップ」(五味武理事長)の
一員として、注射器や医療品等のドネーションを
モンゴルの赤十字を通して行うこと、
現在、大相撲前頭西4枚目にいる、
モンゴル出身の力士、
旭鷲山から、
ウランバートルに住む、母親に対する託を届けること、
旭鷲山の色紙をモンゴル大使館の関係者に配ることが
主な目的だった。
(旭鷲山のお母さんが手にするのはモンゴル訪問を載せた新聞切抜きと俳優の藤岡弘さん)

(旭鷲山の手形とモンゴル大使館員、小生、藤岡氏、五味会長)

時の過ぎ行くのはあっという間もなく、
あれから既に、7年もの歳月が経過した。
写真下は、白いスーツで決める「浦田参議院議員(当時)や、
ウランバートルの飛行場で偶然会った、
ナーダム祭帰りの、
歌手の「小金沢昇司」さん等との
モンゴルでの懐かしい写真。


馬頭琴はモンゴルの弦楽器。
このキーワードが既に過去形として閉じこめられていた
「モンゴル」での思い出のドアを開けたのは、
”スーホの白い馬”が演奏されると同時だった。
モンゴルに同行した「藤岡弘」さんや、
熊本選出の「浦田参議院議員」(当時)、
秘書の「宮地」君等とは今のところ疎遠となっているが、
この艶遊会をキッカケに近い将来再会するような予感がする。
NAGISAさんの演奏が終了した午後9時、
新幹線品川駅に向うべく今日の関係者に
挨拶を急ぎ、原宿を後にした。
いろいろと有意義な艶遊会だった。
2005年10月17日
原宿「名月艶遊会」へ
「馬頭琴」というモンゴルを代表する民族楽器がある。
その音色を始めて耳にしたのは、
今年7月、
「アズベールホテル&スパアタミ」の
オープン前夜祭でだった。
草原のチェロと呼称される「馬頭琴」は、
バイオリンやチェロ、中国の胡弓といった楽器と
同じように弓を使って演奏する。
アズベールテラスでの演奏は、音響設備が
全く整っていない状況の中だったこともあり、
パーティのBGMのような感覚でしか捉えておらず、
かすかに耳朶に残る程度の記憶しかなかった。
演奏した女性は、アズベール東京本社「阿部裕子」さんの
ご令嬢「NAGISA」(阿部渚)さんだった。
(写真は名月艶遊会パンフより抜粋。ルセーヌ館とNAGISAさん)

あれから4ヶ月、阿部さんから「名月艶遊会」の案内が来た。
場所は「原宿」駅から歩いて2分の、
「原宿ルセーヌ館」。
JR原宿駅竹下口で下車、
午後5時を大きく回っていたが、
竹下通りは言うまでもなく、
通りを挟んで両側に軒を連ねる、ファッション関連ショップは
人であふれかえっていた。
この時間、中高生が中心と見られる購買層の約7割は女性で
そこに外国人が違和感なくとけ込みショッピングを楽しんでいる。
ここにいる年代層の活況と若さに圧倒されながら、
「原宿ルセーヌ館」に向う。
会場は、
1996年、高橋弘会長(日本ジャンボー・万葉倶楽部)に
お連れしていただいた、
ヨーロッパの街角にも似た優雅な洋館だった。
入場料金は「6,500円」
飲食が付いての演奏会は、異業種交流の場でもあった。
館内に入るや、阿部さんから
「ルセーヌ館」の顧問、品田良彦氏や
森林木材研究所「高山宗弘」所長、薬学博士の「北川正之」氏、
ギンザブロードキャスト株式会社「田島廉仁」社長を
ご紹介頂く。
これらの方々のビジネス内容については、
今後順次ご案内するとして、
過日、熱海にクルーザー基地建設で
熱海市の再生案をというヒントを頂いた、
「株式会社リュミエリーナ」千葉三男社長も
お見えになっており、参加者は約60人以上。
さて、食事が終わりいよいよ演奏が始まった。
(つづく)
2005年10月15日
「旭山動物園」勝利の方程式
平成8年、旭山動物園は開園した。
当初の入園者数は26万822人だったものが、
平成16年度は144万9,474人にも上り、
入園者数、展示施設とも日本一の動物園となった。

確かに、現地に来て見れば広大な敷地は
起伏に富んだ実に素晴らしい地形のよさである。
そこに150種類の動物が飼育されている。



かつては地元業者等と
施設変更など試行錯誤を繰り返してきたそうである。

それが、一日平均80~130台の観光バスが押し寄せ、
北海道周遊ツアーパッケージに
組み込まれるまでになった理由は何か。
ズバリ、マスメディアの取り扱いである。
近年、テレビでの頻度が急速に増し、
旭山動物園をテーマにした単行本は13冊を数えるという。
平成12年= 539、888人、
平成13年= 575,884人、
平成14年= 670,431人、
平成15年= 823,896人、
平成16年=1449,474人と入園者は上昇の一途。
マスコミが取り扱うポイントになったのが、
自然環境に近い施設整備、
広いスペースに、見るものに感動を与える、
真近で動物を見せる”行動展示”。
こうした取り組みが功を奏し、
全国的知名度となったと、施設担当者は謙虚に言う。
「旭山動物園に行ってきましたか」

この動物園はすでに「テーマパーク」化に成功し、
日本の動物園での勝利の方程式を解くことに成功したのである。
「百聞は一見に如かず」
改めて思い起こさせた、諺である。
振り返れば、かつて熱海市内にも、
「動物園」や「植物園」が存在していたし、
水族館建設構想もあったようだが、
今では、経済的地盤沈下が激しく、
生き残りを掛けた”カンダタ”状況が続く中、
真の熱海再生構想は五里霧中、暗中模索の状態にある。
今回の研修視察からを通し、
市民提訴にまで発展した、
昨年の熱海市単独事業、
一過性の「熱海花の博覧会」は
つくづく、”画餅に帰す”事業だっと思わずにはいられない。
北海道「富良野」を訪ねて
熱海市議会には3つの常任委員会があり、
小生が所属するのは「観光福祉委員会」。
米山秀夫委員長の下、
加藤俊夫、加藤則夫、岡武秀、田中秀宝、山田治雄の各議員と
小生を入れた、7人で構成されている。
各委員会とも、
それぞれのテーマに応じて、
年に一回の行政視察研修がある。
今年は北海道「旭川」と、「岩見沢」が
視察先に選択された。
旭川は年間145万人もの入園者を集める、
「旭山動物園」を視察し、
そのノウハウを求め現場の空気を肌に感じ取ってくることだった。
加藤則夫議員は事情があり欠席したものの、
当局からは、
竹部市民福祉部長、山縣観光文化部長、
山口議会事務局書記が随行した。
動物園は11日に予定されていたため、
旭川に到着した午後から、
「北の国から」最終章”02”遺言」で登場した、
拾ってきた家~やがて町~を見学する。

全国発信された
撮影現場「富良野」麓郷地区には、
霧雨混じりの愚図ついた天候で、
ワイシャツ一枚では寒いくらいだったが、
観光バスやワゴン車、乗用車で訪れる
観光客は次から次へと後を絶たない。
倉本聰氏作テレビドラマ「北の国から」の主人公、
”黒板五郎”が畑から出た石を積み上げてつくった家や
五郎が住んだ2番目の家、

五郎が雪子のために作った、廃材を加工して作った家など
アイデア一杯のユニークな建物は一見の価値はある。
ちなみに、オープンは2004年、
入場料金は200円。

知床が世界遺産に指定され、
バスや車が身動きできないほど、
観光客で溢れ、前述した「旭山動物園」も、
リピーター客を入れて年間150万人に迫ろうとしている。
熱海市にも花火や梅園など、一過性の
イベントはあるが、経済波及効果は一部の
宿泊施設を除き、市民レベルでは二進も三進も行かない
状況にまで陥っている。
マスコミやメディアを意識せずして、
観光行政は成り立たないというのが正直な感想だが、
熱海市の為政者に、
「富良野」北の国から最終章だけでも、
改めて見ていただき、そして現地に足を踏み入れ、
熱海市政が捉えてきた”観光施策”という概念を
根本から考え直して頂きたいものである。
なぜならば、熱海市には
ドラマを書かせれば過去幾多の名作を残してきた
「橋田」、「小山内」お二人の脚本家が
お住まいになっていらっしゃるからである。
2005年10月14日
おばんざい「こだま」
熱海市銀座町に、
おばんざい「こだま」はある。
京風家庭料理を出すお店で、
酒も各種そろっている。
小生が公私ともお世話になっている、
山口ファミリーのボス、
山口雅平氏からのお誘いで、
久しぶりに、おばんざい「こだま」に入る。
おばんざい「こだま」は、かつて、
”こだま寿司”として、熱海市内外から常連客を
多く集める有名店だった。
(生前の池田氏とご主人に囲まれる、美智代さん)

ご主人の「児玉富士夫」氏が2年前に急逝され、
その後、おばんざい「こだま」として、
未亡人の「児玉美智代」さんがお店を切りもりしている。
(写真右、児玉美智代さん) (写真左、鈴木三郎氏と山口雅平氏)

こだま寿司時代は、
故池田満寿夫氏(版画家・作家)と
バイオリニスト佐藤陽子さんが、
大のご贔屓店としても人気を集め,
写真家故「蕪木研爾」氏とここで知り合い、
wwwau.kodak.com/JP/ja/professional/photoSalon/4p145400.shtml
池田氏の陶芸作品集を、
蕪木氏が写真に収め発売され好評を博した。
(写真はその作品をキャメラに収める蕪木氏と池田氏。左は小生)

店に入ると、鈴木三郎氏(ABCホーム社長)と
山口氏がビールと焼酎で始めていた。
白木のカウンターに、銀杏串焼きや
小生の好きな、かぼちゃの煮物、枝豆、ししゃも等が
丁寧に出されるが、それぞれの旬の味覚を承知しているせいか、
常連には注文しなくてもツマミが出てくるのが嬉しい。
話題は今月公表された
熱海市内の大手宿泊施設競売物件に関する、
競落価格や後利用に関する推測などや、
共通の知人だった、
故池田氏や亡くなったご主人に纏わる
思い出話で盛り上がった。
山口氏の奥さんが顔を見せ、
特製マグロの「ずけ丼」を注文、
美智代ママは手馴れた包丁捌きを見せ、
マグロを切ってゆく。
それを見ていた、鈴木氏も
単品でずけ刺を注文した後、美智代ママに
デジカメ撮影を依頼、
(写真左より鈴木、山口各氏と小生、山口夫人)

上記の写真が出来上がった。
おばんざい「こだま」、
単なる家庭料理の店だけでなく、
居酒屋としての機能も併せ持つ和風料理店。
ほのぼのとした雰囲気と、2階は宴会ができ、
20人ほどの人数でなら落ち着く広さである。
おばんざい「こだま」
熱海市銀座町
電話0557(83)2648
2005年10月13日
「天匠」にて昼食
熱海マリーナ、網代「〆竹商店」と、
名古屋から熱海に立ち寄った、
「波多野」、「朽木」の両社長。
ここまで、全て南熱海に関連したところばかり。
「お昼は何を」と、聞くまでもなく、
小生は、昼食には南熱海に関連した店をと決めていた。
熱海市内で網代が食える店といえば、
網代港から朝獲れした新鮮な魚介類を提供し、
好評を持続し続ける、
和食の「天匠」で決まりだ。
(写真真ん中は、天匠森下店主)

店の前まで行くと、
森下店主が玄関先で業者と立ち話を。
「混んでいる」
「いえっ、たいして」
今日は入口に近い座敷に上がり、
「姫御前」3人前と、3,000円の刺身盛り合わせを注文、
お二人とも、イカ、本マグロ、カンパチなどの
鮮度の高い盛り合わせに満足なご様子。
ここで、3人共通の話題をしばしして、
小生は熱海駅へとお送りしたのである。
今夜は「横浜」泊りで、
IT系列会社へのコンサルティングだという。
横浜みなとみらい21[万葉倶楽部]の
宣伝をしたのは言うまでも無い。
こうして遠方からの立ち寄り客でも、
土産に食事と
熱海市にお金を落として頂ける。
この町の価値観は市民一人ひとりによる
長年の努力が高めているのだと、
あらためて知らされた一日でした。
和食処「天匠」
住所 熱海市清水町4-16
℡ 0557(82)3383
2005年10月12日
網代・干物「〆竹商店」
熱海マリーナに続いて、
波多野、朽木社長にリクエストされ、
ご案内したところが、
網代「〆竹商店」。
(写真左より朽木、波多野社長、富岡ご夫妻)

この干物屋の特徴や売り上げランキングなどは、
上記ホームページを見ていただくとして、
ここの主の「富岡求」さんは、
小生の親友だった故「森野嘉男」氏と、
長年相談相手として、また、
小生が経営していた居酒屋「寺田屋」の
取引相手としてお付き合い願ってきた。
(〆竹商店内での、波多野、朽木社長)

故森野氏は、小生が「日刊アタミ」というローカルの
日刊紙を発行していた時の、
創業メンバーとして、網代のニュースを担当、
また市議選においても、大きな尽力を頂いてきた。
酒が好きだった故森野氏は、
「〆竹」の小魚の干物をツマミに
網代若衆組の面々等と憩いの場を盛り上げてきた。
網代に「〆竹」ありと、
干物製造業界で知られるまで、
その商品j価値を高めた、
「富岡求」ご夫妻だが、テレビ放映も
普及に一役買ってきた。
富岡氏のご子息も、以前は映像関係者で、
「国際放映」系での
撮影関係の仕事も多かったようだ。
小生の関連で国際放映が
「〆竹商店」をテレビ放映されたときも、
全国から注文が殺到した。
さて今回、波多野社長自ら注文したのが、
あじとさばみりん、さんまみりん
いぼだいの詰め合わせセットである。
熱海の定番土産の東の横綱”干物”
旬の魚を、時間を掛けて丁寧に
天日干しして出荷する、
「〆竹」の製品は、口にした瞬間、
至福の喜びを覚えるようだ。
(富岡ご夫妻とご子息)

網代・干物 「〆竹商店」
住所 熱海市網代281-1
電話 0557(68)0203
定休日 毎週水曜日・月末最終日曜日
と、次なるお店へと駒を進めるのであります。
2005年10月11日
熱海マリーナへ
先日、BSで放映していた「徹子の部屋」をみた。
ゲストは「小林旭」さんだった。
日活マイトガイ”旭”時代のエピソードを、
出演当時のパネルを交えて懐かしんでいたが、
家族の話になったとき、
旭さんのしつけの厳しさの一端が披露された。
俳優「小林旭」はいい父親ではないと思う、と前置きし、
娘さんが小林家にボーイフレンドを
連れてきた時の経緯だった。
長髪で今風の若者(ヨシキ風)が
旭さんに対し、挨拶もそこそこに
通り過ぎたのを見て、
娘さんを一括し、手を上げたそうだ。
「ここは、俺の家だ!。何だお前は!」と。
後にも先にも、娘さんを叱ったのは
一度だけだったというが、
戦後を代表する大スターの
強い家族愛がそこに見て取れる。
現在進行形の、
「小林旭」50周年記念リサイタル公演が
始まっているが、
チケット入手は困難のようである。
さて、熱海に”クルーザー”基地を建設し、
活性化をという日記を掲載した翌日、
名古屋から”海”を愛する男たちがやって来た。
「波多野」社長と、「朽木」社長のことだ。
横浜の関連会社に行く途中、
熱海に立ち寄ったのである。
昼食しながら歓談をという趣旨だった。
名古屋でIT関連事業で躍進を続けるお二人には、
クルージングという共通する趣味がある。
船種について詳しくは無いが、
確か所有しているのは、28フイート級のキャビンクルーザーだ。
まだ昼飯には時間がある。
「ツネさんのところでも行きます?」
「はぁ~っ、いいですね~」
お二人の顔がほころぶ。
ツネさんとは、
熱海マリーナの社長、
小林常男社長のことであり、
言わずと知れた「小林旭」さんの実弟でもある。
熱海駅から熱海マリーナまで一直線だ。
小林社長は事務所の中にいた。
玄関を開けた我々を見るなり、
「どうしたの、今日は」と、
「ツネさんに会いに来たんですよ」と小生がいうと、
何だ暇なんだねと、軽口で歓迎する。
波多野社長と小林社長は今年既に3度会っているが、
波多野社長とは今年初めてだ。
ツネさんの奥さんが、
アイスコーヒーを運んでくれた。
3人の会話は、やはりクルーザーに関してである。
「ヤマハ」と「トヨタ」メーカー2社のシュア争いや、
販売代理店へのサービスの質について
専門的な見地から解説する。

クルーザーに興味の無い小生は、
「小林旭50周年記念コンサートツアーの、
チケット手に入らないの」と、口を挟む。
「ダメなんだよ。兄弟でも手に入らないんだ」と、
いまだ人気の衰えない現状を説明する。
ツネさん、熱海マリーナに来る前は、
プロダクションのオーナーだったと、
壁に飾られた「梅宮辰夫」のパネルを指差し、
「最近梅宮は老けた。スターが孫を可愛がると、
途端に老けだす。家族を見せてはいけない」と、持論を。
梅宮辰夫の他、高橋慶子等も抱えていたというから、
プロダクション経営はそこそこに、
儲けていたということだった。
奥さんが、2杯目のアイスコーヒーを差し替える。
(写真左より朽木社長、小林令夫人、小林社長、波多野社長)

「小林旭」と「小林常男」兄弟、
熱海市に対する貢献度はお二人とも高い。
熱海活性化を海から求め、
文化芸能への依存度を高めようとするなら、
このご兄弟から大きなヒントが見えてくる。
「ケンちゃん、選挙いつだね」
というtころで、
「じゃ~っ、ツネさんご馳走様」と、
面会に感謝しつつ、マリーナを後にした。

(株)熱海マリーナ
代表者 小林常男
住 所 〒413-0102
静岡県熱海市下多賀541-18
電話 0557-68-2316
fax 0557-68-0186
メールアドレス atami-marina@mail.wbs.ne.jp
2005年10月10日
熱海にクルーザー基地を
熱海市の活性化は簡単だ!。
「株式会社リュミエリーナ」の
千葉三男社長はいう。
一度ついたイメージを変えるのは至難の業だが、と
前置きして、
「廃れていくイメージを変える」
「熱海ブランドの価値(イメージ)を変える」
「熱海はシンガポールのイメージに近い」
戦後生まれの千葉社長にとって、
男性天国熱海というイメージは少ない、
むしろ、クルーザーを所有するだけに、
熱海に、ヘリコプターと連動した、
クルージング基地を造り、
84フィート級のクルーザーを停泊させ、
東京ー横浜ー熱海ー初島ー大島を結ぶ航路で、
熱海のイメージを変える事業計画は成立し、
ユーザーが集まれば
否でも町の形態が変わる、という。
ナイトクルージングや艇内結婚イベント等、
クルーザーはリースでも活用でき、
用途は広いとも話す。
リゾートトラスト(初島)には、時価8億円のクルーザーがあるが、
全く活用できていないのがもったいない、と、
熱海の海は宝の山だと言い切るのである。
この千葉社長を紹介していただいたのが、
「アズベールホテル」の阿部裕子さん。
写真はお台場で開催された”美容博”で、
下記、リュミエリーナが出店したブースと阿部さん。

(お台場イベント会場2景)

銀座6丁目、松坂屋デパートに隣接したビルに、
「リュミエリーナ」東京本部がある。
間単に事業内容を説明すると、
美容関連事業と通販・OEM事業、
そして、新たに開発した、
特殊高級純熟熟成技術を
提供する熟成事業部からなる。
小生が関心を強くしたのが、
この熟成技術である。
早い話、この技術によって、
酒を例に取るなら、
樽などで長い時間を掛けて熟成した酒の味を、
少しの時間でブランド以上の
ピュアな味の熟成に成功したそうである。
先ず手始めに、この熟成技術で町おこしが始まった。
沖縄である。
既存の沖縄泡盛を熟成させ、
琉球泡盛「察度王」の、
ブランド名で一般市場に発売される。
詳しくは、リゾート沖縄のクオリティーペーパー、
「観光とけいざい」第684号8月15日参照を
この技術の証明は、
沖縄の泡盛ファン東京の一流ソムリエ、
銀座界隈の有名クラブバーテンダーが試飲
絶賛され好評かを得ている。
この「察度王」をどのような作戦で、
日本全国に浸透させ
売り上げを拡大していくのか。
ここに、町おこしのヒントが隠されている。
一本3万円以上とプレミアが付く、
超人気芋焼酎「森伊蔵」。
泡盛版「森伊蔵」に、「察度王」が近づけるか。
熱海市活性化にとっても、
この純熟熟成技術の今後の展開次第では、
”熱海ブランド”立ち上げに大きな意味を持つのかもしれない。
2005年10月09日
私もホールインワンを
前回は2度目のホールインワンを達成した、
野部功氏のことに触れたが、
熱海市議会の中でも、
ホールインワンを記録した議員さんがいる。
加藤則夫議員(熱海会)のことだ。
時は平成8年12月15日、
場所は「西熱海ゴルフ場」。
アウトの8番、見事にホールインワンし、
これを記念し植樹した梅に、
加藤則夫名が記されている。
写真左は、加藤議員が会長をつとめる、
2市4町の市町村議員や
議会関係者で構成される親睦ゴルフ、
今年春の「阿吽会」での表彰式。
景品を受け取るのが、
加藤氏がホールインワンした際に、アテストした
古谷元熱海市議。

その話を聞いたのは、
連休初日の、親睦議員ゴルフを終え、
打ち上げをしている最中。
野部さんといい、
加藤議員といい、
小生の身近に「ホールインワン」という偉業を、
いとも簡単に達成した仲間がいたのである。
万に一つの偶然を引き寄せられる
強運の持ち主と何時でも接触できる小生もまた、
強運なのかもしれない。
さて、その強運の持ち主が主役の親睦ゴルフ大会。
参加者8名が連休初日「西熱海ゴルフ場」に集結し、
グリーン上での戦いと相成った。
飛ばし屋「橋本」議員を小生が指名し、
若井、小生、加藤、橋本議員等が火花を散らした。

若井、加藤、小生はスクラッチ、
グリーン上はオリンピック(ワンパット景品付き)、
ショートホールはニアピン賞と、
戦いには、チョコレートがかかっている。
何時の戦いも負けるわけには行かない。
しかし、いつも50を切らない小生、
出だし10番でも、グリーン周りまで5打も。
グリーン上の加藤、若井両議員顔が崩れ、
小生自身も上がりを8打と観念していた。
ところがお立会い、
何と、エッジから一発でカップインしてしまったのである。
まぐれがこんなところで起きるからゴルフはやめられない。
この日は、18ホールの中、
ワンパットが8ホールと、
過去に例ない”サエ”を見せたのである。
トータルでも、49、47=96とイン・アウトとも
50を切ったから不思議。
もっとも、加藤議員も、50,49=99で
若井議員は、50,45=95と、
仲良し3人組み、そろって100を切ったのである。
ちなみに橋本議員は、45,43=88.
ドライバーの飛距離はプロ並みで、
300ヤードはコンスタントだが、
グリーン周りに少してこずった様だが、
”力”は別格で、大変参考になった。
一方、別組で回った、
高橋幸雄議員は、57,50=107と、
信じられないブレを見せた。
やはり、強運の持ち主と接していれば、
小生のように時には、信じられないように、
たまたまであろうが、パターがスコン、スコン決まる事が、
時にはあるのかも知れないし、
チョコレートをたくさん稼げるチャンスに
恵まれるのかもしれないのである。
昨日、今日とゴルフにまつわる
2題のお届でした。
2005年10月08日
2度目のホールインワン
二度目のホールインワン、といっても、
小生のことではない。
「男たちの宴」シリーズに登場する、
野部功氏のこと。
野部氏の本業は保険代理業だが、
熱海市の民生委員でもある。
小生との関わりは10年以上も前に遡る。
出会いは、地元ガソリンスタンドの
親睦ゴルフ「共石会」を通してだった。
お互いの子供が友人同士だったことも親しくさせた。
さらに接点を深くしたのは、
子供同士が「ニュージーランド」へ語学留学したことだった。
その後、小生の愚息は、
語学留学から一転、
中国ペニンシュラ系統のホテル
「王府飯店」のセールスマネージャー見習いとして単身赴任。
小生には、香港返還や改革による
経済成長が約束される”中国”を体感し、
将来への貴重な体験になればとの思いがあった。
その間も、野部氏とは
共石会や桜町(野部氏所属町内会)の親睦ゴルフ、
「桜友会」を通してず~と親睦を深め、
現在では「男たちの宴」の
メンバーとしても、小生をフォローしていただいている。
現在は野部氏のご子息は、家業の保険代業を、
小生の愚作は、今年に入り、
一からの「サラリーマン生活」を選び、
これまでの経験を生かそうとしている。
さて、野部氏のゴルフは、マナーに忠実で、
少し堅苦しいほど潔癖感が漂い、
スコアもシングルに近い数字を堅持してきた。
その野部氏が、
過日、小生の事務所を訪れ、
意味ありげに、ニコッと笑い、
「これを」と、差し出したのが、
「ホールインワン記念」と銘打った記念品だった。

「なにこれっ?」
「やったんだよ。私が」
「えっ」
野部さんが言うには、
ホールインワンは、9月14日、
「伊豆スカイラインゴルフクラブ」でのこと。
その日は3組のコンペ。
奇跡は15番ホールで起きたという。
ところが、野部氏にとって、
ホールインワンは2度目だという。
一度目は昭和48年、
「沼津カントリークラブ」伊豆コースの3番。
ホールインワン保険というのがある。
野部さんは保険屋だけに”保険”は掛けてあるそうだが、
ホールインワンを達成したゴルファーは、
コンペ参加者や関係者に、
大判振りまいをしなければ、
不幸が降りかかってくるという風説がある。
一人のゴルファーが一生のうち、
ホールインワン達成は至難の業。
それを一人で2度記録するとは
驚くばかりである。
小生も運気は強いほうであるが、
ゴルフを覚えて幾星霜。
一度もかすりもしないでいる。
ただ、観光の祭ハワイでプレイしたとき、
目の前で、ピンに直接ボールが当たり、
外人女性がホールインワンしたのを
目の当りにしただけでも身震いがした。
それを自身、2度記録したのだから凄い!
さて2度のフールインワンで、
野部氏、どれだけ散財したか推測の域を出ないが、
今月の「男たちの宴」では、
あらためて、記念祝賀会としても、
会費とは別に、
財布の紐を開放していただきたいもの。
まずは、野部さん、おめでとうございます。
2005年10月07日
結びつける糸
熱海に、
「桃山荘」という
宿泊施設がある。
www.mytrip.net/HOTEL/20382/20382.html
ここの経営者は、
旧「つるやホテル」創業者、
故畠山鶴吉氏(元衆議院議員)の、
継承者の親族である。
名前を「河合浩道」氏という。
縁あって、長い間小生の仕事の一部を、
現在の「桃山荘」を運営するまで、
お手伝いしていただき、
現在も何かにつけ、親交を厚くさせて頂いている。
つい先日も、
貞方邦介氏が主催する、
セレブパーティに、
大竹啓之氏(ブラジルレストランセグレードオーナー)と、
小生の3人で参加した仲でもある。
さて、何が”結びつける糸”かといえば、
セレブパーティーから帰った翌日、
小生の店(ラーメン’S居酒屋「や~や~屋)で、
友人と会っていたところに、
カウンターで食事を終えた若いカップルが、
従業員に、
「トマタってどこですか」と、
観光マップを広げ上多賀を指していた。
聞けば、ここの停泊してある小型ボートを
譲り受けに、車でやってきたという。
話はこれからだ。
「大阪からですか」、
「何で分かりますの」
「いやっ、友人が大阪に多いもので、
チョットした訛でも分かるようになったんです」
「へ~っ、僕等標準語で話していたつもりなんですが」と、
話しかけたことで、一気に会話が弾んだ。
(写真は藤内さんとラーメン’S居酒屋や~や~屋カウンター)

名刺には、
株式会社アイビート
関西営業本部システム開発部
アプリケーションエンジニア、
藤内英明氏とある。
「では、今夜ボートを積んでお帰りですか」と聞くと、
「いえっ、今夜は熱海に泊ります」という。
「どこですか?」
「はい、駅裏の何って言ったか・・」
「どの辺りですか」
「駅裏の中腹だったかしら」
「じゃ~っ、桃山荘って言いませんか」
「あっ、そうです。そんな名前でした」
「ビンゴ」だ。
衰退したとはいえ、この熱海、
数多の宿泊施設が日夜努力している。
各施設必死で誘客し宣伝に余念が無い。
ネット上での売り込みも各旅館ホテルが
活用してそれなりの功績を上げている。
そうした施設があるなか、
大阪から「藤内」氏等が、
桃山荘を、それも、
河合氏と会った翌日に、こうした偶然を体現するとは、
”結びつける糸”を感ずる所以であし、
たまたま、お客を大事にする心がけが、
こうした偶然を引き出したのかは不明だが、
プラス思考の小生には、
話題の一つが、また増えたことには変わらない。
こうしたことがご縁で、
彼らや彼等の友人・知人が熱海に
来てくれれば本望である。
2005年10月06日
ヒルズの夜
先日、六本木ヒルズに足を踏み入れた。
ヒルズといっても、
レジデンスタワーB棟の43階。
そこで、貞方邦介氏(アルカサバ)が主催する、
イベント、
「セレブパーティーin六本木ヒルズ」に
参加するためである。
熱海市在住の貞方社長、
毎月、市内で小規模な親睦会に、
出席していただいている。
その都度、熱海市をモナコにしたい、という、
願望や実現するためのコンセプトを
熱く語っていただき、
一同に夢を与えていただいている。
その貞方社長が毎月開催し、
出会いの場として好評なのが、
「六本木ヒルズ」での、
セレブパーティーである。
小生は、河合浩道氏(熱海桃山荘代表)と、
大竹啓之氏(ブラジルレストランセグレードオーナー)の
3人で、このパーティーに臨んだのである。
レジデンス棟B館にはドアマンが立ち、
予め担当者から知らされていた、
エレベーター前のオートロックに
・・・・4桁の
暗証番号を入力すると、
ドアーが開く。
開錠された瞬間より、
なんともリッチな気分にさせられる。
43階入口で、セキュリティ上の為に、
会費とともに名刺か身分証明になるものの
提出が義務付けられている。
会費は男性1万円、女性5千円。
軽食が用意され、シャンパンやワイン、ビー
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