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2005年06月18日

業捨の不思議 火災発生

その前に、咲見町ムラヤマビル開業までを
ザクッと一掴み説明させていただきます。

昭和57年秋、小生が購入したビルは、
静岡県から改善命令が出され、歩道に壁から剥がれた
コンクリートの破片が降り落ちるような、
見るも無残な立ち腐れた廃墟ビルでした。
持ち主は、島田市の「○駒病院」でした。

院長は、元陸軍病院(現国際医療福祉大学付属熱海病院)出身で、
このビルを、競売で取得、
落札価格が8千万円ということでした。

当時このビルの隣にあったのが、
旧静観荘従業員宿舎。

雨宮社長は、宿舎は名義が複雑で売却は困難だが、
と、左隣の廃墟ビルを管理している設備会社を訪ねたらと、
「渡辺設備興行」さんを紹介していただきました。

所有者や他に購入希望者が複数いることなど情報を得ましたが、
なにせ、8,000万円もの物件を購入できるほどの
金の工面はつきません。

徒手空拳でチャレンジするしか術がありません。

当時は印刷屋を始めたばかりで、
金融機関から680万円の融資を受けていました。

しかし駄目もとと、伊豆信用金庫熱海支店の
細貝貸付担当係りを直撃、事業計画書を提出したところ意外にも、
小生の事業計画書の約70%以上の融資なら
応ずるという回答がきたのです。

小生は島田市の「○駒病院」に日参したのです。
誠意を前面に立て、
「今は金は無いが是非、ビルを譲ってほしい」と、
印刷業を移転したい趣旨を説明、
泣き落としで縋りついた結果、
譲っていただいた金額は
融資予定金額に最も近い、5,500万円でした。

その銀行融資に関しては、

雨宮嵩彦(株式会社ニコー社長)氏が

連帯保証人だったことが決め手でした。

さて、
所有権移転後は、印刷業や賃貸するより、
全て自家営業の方向で計画変更しました。

このビルは競売に出される前は
「晃山荘」という、国鉄相手の寮でした。
3階以上は各部屋に区画されていました。

  (昭和62年頃火災後のビジネスホテル付帯施設、スナック、部屋、カラオケクラブ)

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そこで、一階は店舗で、2階は雀荘、3階は自宅、4~5階はビジネスホテル
として、改修オープンいたしました。

ところが、改善命令の出ていたビルでしたから、
ホテル営業許可には保健所の許可や耐火検査が不可欠だったのです。
立ち入り検査の結果、
サッシュ、防火壁等にクレームが付きましたが、
最小限の改修工事で開業できたのは、

故山田清作元県議と、

「梅原一美」(現熱海市議会議員)技官の

熱心で的確な指導、施工していただいた
「萩田建設」さんのお力添えだと、感謝しています。

許可申請が下り、

ビジネスホテルの看板をメインに
滞在者を少しでも多く確保するため、
風俗に従事する女性も多く宿泊客として歓迎いたしました。

              (当ビルの5階から臨む県道とビル全景)

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好事魔多し。
事件は、ビル経営がやっと軌道に乗りかけた、
昭和60年1月16日未明に襲い掛かってきたのです。

滞在女性の一人が、宴会で朝帰り直後、
寝煙草の不始末が原因で、障子に引火し火災が発生したのです。

消火栓で消し止める間もなく、

火元の5階はあっという間に煙りの渦に巻き込まれたのです。
5階には出火した部屋の住人のほか、

昨日成人式を迎えたばかりの、女性3人と
付き添いで泊っていた男性客一人が、
脱出できず、

毒煙(新建材から発生する煙)が充満し、
火の手が益々広がる5階に閉じ込められたのです。

駆けつけた消防署員や団員も
ビルに絡みつくように、
縦横に張りめぐった電線に邪魔され、

5階の火元や取り残された宿泊客の部屋に
はしご車の先端が届かず、焦りは頂点に達していました。

黒山に膨らんだ野次馬もただオロオロするばかりでした。

小生は、非常階段から5階に飛び込み、
滞在していた友人を誘導した後、
何とかしようと火元に向かったのですが、

煙に巻かれ、両眼が塞がり”どう身動きも出来ず”
ただ廊下を這いずり、モガキ気を失いかけたとき、
階段から突入した
熱海消防署員に助けられたのでした。

一方、閉じ込められた滞在者の部屋からは黒鉛と火柱が見え、
路面の野次馬からも絶望の悲鳴が上がり、
まさに”愁眉の急”。

しかしその瞬間、消防署員の一人が電線を掻い潜り、
絶体絶命のその部屋の窓にたどり着くや、
即座に窓を叩き割り、一人、また一人と救助したのです。
ところが、
最後の一人が飛び乗った途端、
激しい勢いで部屋が爆発したのです。

いわゆるバックドラフト現象が起きたのです。

この間、ほんの数十秒の出来事でした。

おかげさまで、一人のけが人もでませんでした。


この奇跡的な救出劇は

熱海消防署員と団員の責任感とチームワークが
見事に結実した偉業でした。

小生には、感激と感謝と感動だけが鮮明に残っています。

新聞には、スプリンクラー云々等々(部屋数の関係から不必要)と
パッシングされましたが、

現場の状況を見る誰しもが、惨劇を予想したビル火災。
僅か数秒で大過を免れられた小生にとって、
偶然、虎口を脱することが出来たとは考えにくいのです。


”業捨”が小生に何らかの”ツキ”を齎せた、と、
思い込みながら、次回は

ガリッ、ガリラリッ。シャ~ッシャ~ッ、ガリガリッ、
と、指爪で小生や同席した方を”業捨”した後の、
状態をお見せいたします。(つづく)

投稿者 村山 憲三 : 2005年06月18日 11:08


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